子どもをたたいたことがありますか?

子どもを叩く

 

こんにちは。幼児期の子育てを卒業し、言葉とお金をかける時期をまっしぐらに駆け抜けている、てんです。助産師やっています。子どもは4人、末っ子も小学生になっています

 

毎日まいにち子どもと過ごして、なにかと子どもに時間や体力やあれやこれやを費やしているママたちー! お疲れ様です! お疲れ様です!!

 

日々一生懸命にやっているけど、時には辛くなることってありますよね。

危ないことをしたり、やって欲しくないことをやったりすることも…。

そんなとき、もうどうしようもなくて子どもを叩いてしまったら…。

自分を責めていませんか?

 

「自分は母親失格じゃないか?」

「どうしたら分かってくれるのか?」

「こんな母親は自分だけじゃないか?」

「もっと上手に子育てできたら」

その気持ち、ほんとうに本当によく分かります。

 

わたしの所属するクソババアサロンのInstagramへこんな質問がありました。

 

 

 

 

というこの質問…。

 

てん
てん

うん、あったよ。

そうお答えできます。

 

 

質問者さんが手を上げてしまう時の心情は、わたしと同じではないかもしれません。でも苦しさは分かります!

実際にわたしがどんなときに、どんな気持ちでそうなっていたのかをお伝えしたいと思います。

何かの助けになることを願って。

 

おかん16年目のわたし

わたしは子どもも多く、仕事でも妊婦さんたちにかかわっているため「子ども好きでしょ?」と思われるかもしれません。

でも!そうではありません。

 

むしろ出産するまでは、自分の意志を持ち始める前の赤ちゃん以外は苦手でした。

わたしはこんな人です。

  • ふたりきょうだいの長女
  • 大人の顔色をうかがって成長
  • 家事のスキルはあるが大嫌い
  • 他人に自分の意見を伝えるのが苦手

こんな感じで社会生活にひーひー言いながら生きてきました。

 

子どもに手を上げてしまうとき

わたしの具体的な経験で、おそらく読者の方にはちょっと衝撃的な内容を明かします。※具体的な内容は知りたくないという方は、下の囲みの中を読み飛ばしてください。

 

①子どもが小学校4~6年生の頃、あまりにも頭にきすぎて、子どもの胸ぐらをつかんでソファに投げ倒したことがあります。そして言葉で責め立てました。わたしの感情は「怒」ではなく「哀」でした。泣きながら「なんでわたしの言うことを分かってくれないの」と。それが心の叫びでした。子どもは黙ってわたしを見つめていました。でもなにに怒ったのか覚えていません。
②ひとりの子はやりたくないこと(宿題や時間割など)は、理由を理解していてもガンとしてやらない子でした。多くの子は「我慢してしぶしぶでもやっていく」ということが出来るのですが、この子は絶対にやりませんでした。なだめたり、ほめたり、ご褒美を提案したり…それはもう専門家の助言も受けて、あの手この手を尽くしました。でも変わりません。わたしが子どもに手を上げたのは彼を促したり注意した時の、この子の発言です。「どうせやったって意味ない」「お母さんには関係ない」「学校なんかいらない」「みんな○ねばいいのに」と、憎々しい態度に終わりがありません。ノートを投げ捨てる、イライラして大きな音をたてる、きょうだいに当たって泣かせる。自分の行動が原因なのに、悪態に次ぐ悪態で、わたしは子どもの頬をはたきました。子どもは黙っていました。わたしは泣いていました。

 

頭にきて頭にきてとうとう爆発する…いつもそのパターンなのですが、その途中のわたしは、頭のどこかに「ああ、まずいな。このままだとキレるな。」という思いがあります。なのに、結局爆発してときには叩いてしまうこともありました。絵に描いたようなキレる大人ですね。

 

甘えじゃないかとか、お叱りの言葉は要りません!

はい、母親失格とか言われても構いません!

(わが子たちとわたしの関係について、ここは弁明を書いたところでなんとも伝わりづらいので割愛します。)

 

わたしは子どものしたことに注意をしている時などで、子どもがきちんと聞いていないとか、返事をしない状態が続くとキレそうになります。

このとき、子どもとしては「ただ無言で聞いているだけ」なんです。こっちを向いて無くても、返事をしなくても、不機嫌な顔をしていても聞いているんですよね。

ですがわたしには、黙っている子どもの態度が「無視されている」というメッセージに勝手に変わるのです。そしてどんどん頭に血がのぼっていくのです。

で、大声を上げ続けてその結果、自分勝手にコントロール不能に陥っていく。

 

怒鳴る時、家中の窓を閉めるという知人もいました(!)が、わたしは「そんなのどうでもいい」「とにかく頭にキター!!」と怒っていました。

 

「近所に響きわたってるから気をつけて」という夫の言葉も「知らん、そんなの(怒)」という程でした。実際にお外へつつ抜けでしたので、ご心配をおかけしたかもしれません。虐待疑いで通報されるかなとか考えたりもしました。

 

これがわたしの子育ての一場面です。

はい、「キレる親」そのものでした。

もう反省だらけのこれまでの子育てですが、もうその頃には戻れません。

我慢が足りない母親だったかもしれません、でも我慢の限界というかほんとうに精一杯でした

よくやってたよぉ(´;ω;`)と思っております。そしてときどき、子どもたちに謝っております。

 

叩いても良いと思っているわけじゃない

叩くことが良いとは思っていない、だから悩んでいるんですよね。

頭や顔を叩くのは良くない、でも…と悩んでいるんですよね。

 

そう、叩いてしまったり・派手にやってしまったときも、いつも考えて悩んでいるのです。

わたしも結婚する前から将来子どもを持ったときには、手を上げることなどしたくないと思っていました。でも叩いてしまった。

どうして怒ってしまうんだろう、どうして穏やかに話せないんだろうといつもグルグルと悩んでいました。

 

理想や方法論はできないときはできない

先にも書いたように文章にしたり冷静に考えると、感情をコントロールできそうなものです。

ところが当時は、まったく理性的に怒りを鎮めることなどできませんでした。頭でっかちなだけで、自分をコントロールなどできないでいました。

 

最近は、例えば怒りをコントロールする手法なんて言葉も聞くようになりました。

でも正直、めちゃくちゃしんどい・悩みまくっている時期に「そんなもんクソ食らえ」だと思っています。

理想論を聞いても「出来るかコンチクショー」です。そして心は泣いているのです

 

知ったり、学ぶのはとても良いと思うのですよ。ただ、できないときにそれで苦しんだり悩まないでほしいです。

誰もが違う人間だし、親どころか子どもだって個性があるんだし、辛い時にさらに苦しいなと思うことを課さなくても良いんじゃないのーって思ってます。

 

それよりも、しんどい時は自分の好きなことや・やりたいことをやっていくのが良いと思います。

 

怒りで叩いているのだとしたら

理論の中でひとつだけ、核心だと思っていることがあります。それは「怒り」のもとには別な感情がある。というものです。わたしには「悲しみ」「哀」であることが多いです。

悲しみの他にわかりやすい例として「心配」があります。

帰りの遅い子どもが帰宅したとたんに事情も聞かず「どうして連絡しなかったのか」とまくしたてる親…という状況はわかりやすいケースではないでしょうか。

「心配していたよ」「連絡してほしかった」これが、本心。でもそれが子どもを責める「怒り」に変換されてしまう。

この話を知った時、わたしはようやく自分の怒りすぎる原因に気づくことができました。

だから今は、わたしが怒りすぎるのは、子どもに無視された「ように感じて」「悲しい」ことが原因なんだなぁ、と思うようになりました。

そうすると怒り出す時、自分のことに意識が向くようになりました。

 

子育て中のあなたに必要なこと

優先してほしいのは、自分の好きなこと・楽しいこと・やりたいことをする!です。

これ、やっちゃうと、気が長くなります。今までだったら「キーっ」てなってたところよりも、もう少しゆとりができるのです。

 

なにかを我慢していると、結局他のことにイライラしやすくなるので。

自由な、自由すぎる子どもを目の前にすると、子どもにすらイライラします。ワタシは我慢してるのに、キミはいいね!って。キミのせいで我慢してるのに!と思ったり

そしてそんな自分にまた嫌気が…。

 

というわけで、

いつも行くコンビニで、油ギトギトのホットスナックを買うとか。

アイスクリームも、大人のジャイアントコーンを買っちゃうとか!

母乳が詰まりやすいひとは、鯛のお刺身でもいいよ!

てん
てん

食べ物ばっかりだった

 

好きなアーティストの楽曲を新曲も聴きまくる。ハーブティーを試してみる、ティーバッグでもいい。図書館に行ってお母さんのために本を選んで?って子どもに聞いてみるとか…。

一番のオススメは、子どもと離れてなにか出来る時間を作る!

 

それから「助けて!しんどいよ!」って発信して欲しい。発信してくれるのを周りは待ってるものです。

簡単じゃないのは分かります。だからこそ、なんとか!この大事な時間を自分のために!

 

多分わたしだと「CDを一枚買う」だけでも良かったし、本心はそうしたかったのに。自分で勝手に我慢していたので。自分で自分を苦しめて、なんて変態なんだ、と今は思う…。

 

そんなところからちょっと踏み出せそうですか?「子どもがいるから」と自動反応のように思っていたことを、つま先だけでもいいから自分の行きたい方へ向けてみてほしいです。

 

 

叩いてしまった自分をゆるせる?

子どもがやってしまったこと・しなかったこと・やってしまったこと・出来ないこと…それがきっかけで叩いてしまった。ツライですよね。

 

思い出せますか?

その後ろにある感情は何だったか?

見えてきますか?

 

子ども自身や誰かを傷つけるようなことをした、それはダメだと伝えようとした。

子どもに伝えたいことがあったのなら、落ち着いてから子どもに話して伝えられそう?

 

子どもがきっかけだっただけで、もし自分に別な理由があって怒ってしまったなら…ごめんねって言えるといい。

 

あと、精一杯やったらもうそれ以上は何もしないでいいです!ほっといていいー!

子どもの反応がないとか、また同じことをやるかもしれない。

でも、それはどうかしようとか思わなくていい!

子どもの人生は子どものもの、だから。

なにかあったら?責任を取らなきゃ!って思うなら、子どもが助けを求めてきた時に力いっぱい助ければいい、そう思います。

 

子どもからの挑戦状

子どもとのやりとりで、わたしは激怒して大声を出したり、それでも思うようにならなくてワンワン泣いたりしたこともありました。

毎日ずっと怒っていると思うほど、怒っていました。叩いたこともありました。

 

末っ子を妊娠しているときで絶対胎教に悪いなとか、末っ子が生まれて抱っこしながら上の子に怒ったり…こんな状況、誰も幸せじゃない…なんて悲しかったなぁ。

今現在そのことを思い返して考えるのは、正直「あんなことしなくてすんだなら良かった」です。

でもね、

子どもはみんな性格も特徴も違うし、親との相性も違います。

子どもをカワイイと思える時とそうでない時、むしろ憎らしく思える瞬間などもあったり…。

つねに心が乱され、愛情という名の「許容範囲」を試され続けているようなものです。

この状態を繰り返すのが子育てなんだなぁと思っています。

 

こう考えると過酷ですね。

自分たちから生まれてきたこのわが子が、揺さぶりをかけ続けてくるのですから。

子供の同級生のお母さんが言っていた言葉を今でもよく覚えています。

「こんなわたし・ぼくでも、赦してくれる?愛してくれる?」とこれでもかこれでもかと試されるわぁ。

 

こんなことばかり言っていると、子育てはなんてしんどいことばかりなんだ!となりますね。

そうではないのです、ふとした瞬間にわが子からのいろいろな「挑戦状」が叩きつけられるんです。

ふとした仕草やことばで「こんなのカワイイでしょ」「これもカワイイでしょ」っていうパターンもあります。伝わりますか?

ああーそうきたか!可愛すぎ!写真取らなきゃ!ってなる方です。メロンパンナちゃんのメロメロパンチのようなものです。油断しているとやられます、これはみんな大好物ですよね。

 

そうしてだんだんと子どもの個性を知るのです。これは特性なんだなとあとでわかるんです。

 

でも、わたし、それがわかったのは子どもがみんな大きくなってきたから。

ぜんぜん違うタイプの子を相手に日々戦いのように生きてきたからです。「こういう子なのか…そうか」と、悟りともあきらめとも言える現状です。

 

おおらかに子どもと接することが出来る、そんな感じのするお母さんやお父さんを見かけるたびに「あんな風にわたしもなりたい」「どうしてわたしはできないんだろう」「子どもの心に傷ができるんじゃないか」と自分に自信のない日々を送ってきました。

なんと4人目を生んでからようやく、おおらかに子どもをみられるようになったなと思えてきたのです。

「一人目からそうありたかったのに」と思いますが結局、もがいてもがいてその先にたどり着いたという感じです。そしてそうでしかたどり着けなかったんです。

 

もがいて悩んでいるあなたのことも子どもは大好き

 

怒ったり、悩んでいる、苦しんでいる親の姿も、子どもはよく感じて見ています。

それに子どもはそんな親のことが大好きです。

 

母子手帳を見返してみました。3歳頃「反抗期?でツライ。なにをやってもツライ」と書いていました。イヤイヤ期まっさい中だったのだと思います。

でもね…わたしぜんぜん覚えていないのです!

 

クソババアサロンのババアたちでまさに今「イヤイヤ期」まっただ中のメンバーが何人かいます。『みんな頑張ってるなぁ。わたしは「イヤイヤ期」なかったなぁ』って思っていました。

 

てん
てん

いやあったやん!忘れてるだけやし!

そう忘れるのです。わたしもですけど、子どももです。

以前、子どもに昔のことをあやまったら、「そんなことあったっけ」とキョトンとされました。

 

今はわたしの身長ほどもある上の子たち、毎日わたしとハグしています。

小学生の頃はわたしもかたくなで、複雑な気持ちを抱きながら抱きしめたりしていました。正直、業務的な面もありましたね。

 

今は、心の底からこの子を応援したい、大好きでしょうがないという気持ちが湧いてきます。出産直後に対面したときのような感じです。

 

自分自身とも子どもとも戦いまくって、何度も叩いたり、泣いたりたくさんのことがありました。そして、今があります。

子どもとわたし、一対一のつきあいを続けていくこと。その続いていく道のりこそが正解の道。ひとつとして同じ正解はないと思います。

 

この質問をくれた主さん、子どもと同じように自分も大事に。自分の本心を隠さず、やりたいこと楽しいことをやれるといいな。

 

 

長くなりました、読んでいただいてありがとうございました。

 

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